診察室の窓から


by italofran55
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歴史は辺境から興る

イギリスの歴史家 トインビーでしたっけ
有名な言葉らしいです

ヨーロッパの歴史は比較的好きなので
いろいろ読むたびにこの言葉の意味がかみしめられます

はじめは、ヨーロッパに対しての辺境という意味で
元王朝の世界的膨張に対してのヨーロッパの危機といったことかと思っていましたが

歴史は常に中央に対する辺境の勃興で
ダイナミックに動いているようです。

日本でも飛鳥王朝は奈良盆地の山辺です
もっとたどると談山神社 長谷寺のほうの山奥 に根拠地があったかもしれない

徳川家は三河の松平郷という山奥

信州で言えば真田家の真田の庄は菅平に近い小さな郷です
結構 似た地形なのではないかな

山奥の貧しい剽悍な兵が豊かな平野の農民兵よりは
常に強いのでしょう
もちろん、盆地、平野に進出してからの戦略がそれから伸びる
大名、王朝の行方を左右するでしょう


ヨーロッパでいけば
ハプスブルク家はもとはスイスに近いオーストリアの山城
鷹巣城の小さな領主でした。

ブランデンブルク辺境伯からプロイセン王、北ドイツ連邦の王、ドイツ帝国の皇帝となり遂げた
ホーエンツォレルン家
もとは、南西ドイツ シュツットガルトに近いところの領主でしたが

バイエルンのビテルスバッハ家から代官として
スラブ人が住み、当時はドイツに入っていなかった
ブランデンブルクという田舎に代官として派遣されました
ですから辺境伯などという名誉か、田舎もんかわからない
名前を与えられていたのです。
ブランデンブルクからベルリンを造りました。
栄光のブランデンブルクを忘れるなという意味で
有名な門を造ったのです。

ホーエンツォレルン家は最後にはドイツ帝国を形成するときに
本家のバイエルン王国を呑み込んでしまいます。

オーストリアも元はといえば未開の地であったようです
バイエルン人が東の領土としてオーストリア開拓に乗り出していました
そこに、バイエルン王家から代官として開拓地に派遣されたのが
ハプスブルク家です、艱難辛苦とあとは婚姻戦略で世界帝国を築いてしまいました。
ミュンヘンからザルツブルクにドライブしたことありますが
まさに、一帯のヨーロッパでも有数の美しいところでした
老後に棲むなら、プロバンスかここかな

プロイセンとオーストリアが喧嘩したとき当然
バイエルンはオーストリアと組みましたが負けました。
プロイセンがドイツの北東の小さな国から成り上がったのを
明治の元勲たちはまねしようとしたのは余りにも有名な話です。

プロイセンもオーストリアももとはバイエルンの代官からと言うのは
おもしろいではありませんか

もっとつきつめていくと
現在のバイエルンはもともとはケルト人の住むところで
ローマ人が征服し
そのあと、ボヘミアあたりにいたゲルマン民族の支族である
バイエルン族がそこから現在のバイエルンにでてきたそうで
バイエルンとボヘミアは同じ語源だそうです。

バイエルンの歴史一つをとってみても
中央と辺境が逆転しながら歴史は進んでいるようです

古代エジプトにとってトルコやギリシャの小さな島々

ギリシャにとって植民市を造っていたイタリア半島のローマという元気のいい村落共同体

ローマにとってゴール人という未開人の住む今のフランス

フランス王家にとっての、ケルト人の住むブリテン島

イギリスにとっての清教徒を追い出した未開のアメリカ大陸

みんな辺境でした

そうした意味で辺境のエネルギーは凄まじいのでしょう
日本も辺境であるという意識のうちは発展しましたが
これからしばらくは豊かであったという幻想に
苦しめられるのでしょうか

辺境の持つエネルギーは残念ながら
私にはありません
そのため 仕事は小さなままです(笑)
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by italofran55 | 2010-08-05 22:20 | 歴史