診察室の窓から


by italofran55
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漫談家の牧しんじさんの死には驚く
自殺というものは普通の人には想像もつかない苛烈な方法を選ぶことが多い
それだけ周りのことが見えなくなっていると思われる

牧さんの飛び降りで思い出したのはポール牧さんの飛び降り死だった
一般にいえばうつの劇症化のことがおおいが
うつの重症化はじつは双極性障害だったということも多いと思われる
ポール牧さんはどちらかといえばこのタイプだったのではないか

牧しんじさんは きまじめで業界の長までやり
脳梗塞の後も現役に固執していたらしい
性格的には双極性障害の要素は少ないだろう

むしろ脳梗塞後の重度の激越性うつ状態だったとおもわれる。
脳梗塞の場所によっては なかなか言葉がでてこない
運動性失語という状態になり 漫談家として致命傷になった可能性もある
治療も受けていたと思うがなかなか予測は難しいことも多い

同門で同世代 不思議な死を迎えた二人だ
お笑いの世界の人には無理している人と躁鬱の波のある人が
意外に多い
若いlころ楽しませていただいたものとして
ご冥福をお祈りしたい
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by italofran55 | 2013-04-30 15:42 | 医学

佐藤浩市さんの表情

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佐藤浩一さんとは実際にあったことがある たいしたことにおもわれそうだが
近所のゴルフ練習場であり たんに挨拶をくれただけだ
礼儀正しい若者という感じだった

女性と呑んだりすると佐藤浩市がすきという意見が多かったなー
単に格好のいい俳優だと思っていたが
三国連太郎の死を契機に印象が変わった。

三国さんの人生そのものが劇である
本当とすれば戦前の時代によくあった話とも思うし
きわめて日本人的でない物語とも思える

彼自身が私生児であり被差別部落出身の養父に育てられたとも言う
14歳の時に出奔し戦争忌避をするが母に隠れていたところを憲兵隊に売られ
満州に兵隊として取られる 1300人中生き残ったのは30人くらいらしい
戦後の混乱期になにをしていたかわからないくらいの激動の後に
銀座で俳優としてスカウトされる 当時180cmの美丈夫 顔はイタリア人が裸足で逃げ出すほどいい男だ
その後数回結婚し佐藤浩市は中学生の時に母子とも捨てられている
ただし女性と別れるときは財産を全部与えて無一文で逃げ出しているという

佐藤浩市は一番父が必要なときに捨てられている
三国氏も何回もそういう目にあっているそうだし
国家という父の象徴のようなもののに
徴兵され、殺戮を目のあたりにし、おそらく引き金も引き
殺されそうになった心境というものはいかなるものだったのだろう
飢餓海峡という古い映画は もと殺人犯の会社社長の物語らしいが
まさに三国氏の人生を象徴しているのではあるまいか

佐藤さんは20歳の時に早稲田の駅で俳優になりたいことを伝えたという
素っ気ない返事だったらしい
彼は2度深刻な父の喪失を味わっているのだろう

三国氏の死に関して そりゃひどいもんですよ という言葉を泣きそうになりながら
マスコミに語っていたのは
なぜか憎しみとなぜなんだという複雑な愛情の混じった困惑の表情に見えた

彼は神楽坂の芸者をしていた母が新しい彼ができた時点で家を出ているらしい
不思議なことに父の出奔の時期と重なっている

飲み屋をしていた母は認知症となり30年間断絶していた母を今はを家を建てて面倒を見ているという

佐藤浩市の表情を見ていると芸能界という虚構の世界でよくぞここまで
抑制の効いた美しい表情を見せてくれるものだと感心した 
こんな本当の感情のこもった表情はみたことがない
女性ファンが見抜くのもむべなるかなだ

三国は壮年期までは実生活において人間に近づき暮らすことが怖かった人のようにも思える
そんな人が人間を描き出す名優になる 

人間嫌いで人に見せないいくつかの
自分だけの幻想的な美城を築いたルードウィッヒ2世が
世界から押し寄せる観光客で
その城がいっぱいになっているのに似ているとふと思った。
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by italofran55 | 2013-04-16 21:39 | 社会ねた
北九州の唐津あたりが好きである 南西に開けた海岸は明るい 大陸からの文物を取り入れていた古代の希望が今も伝わってくるようだ 
そこでは松本清張の古代史の本が結構よかった 幅広い人である そのお孫さんが慶応大学精神科の薬理の主任をしていて杏林大学の准教授になられた 幅広い人である

素人歴史探偵は唐津あたりを散策していてどうも秦氏が大陸や半島から上陸したことを知った
唐津の南にいろは湾というあまり人知られない美しい湾がある
そこに波多津という小さな港がありそこが上陸の根拠地だったのではないかと考えている
湾の奥深くは海が荒れることがない 古代の海洋民族はそこに港を築いた
中津である 葦原の中津の國の原型はそこかしこにあるだろう
もちろん典型は出雲の中海と宍道湖に見られる
波多津から秦氏はまず九州の各地にでていって土着日本人と混交した

八幡信仰は宇佐神社に土着の神と秦氏の氏神とにておこり、それは弥秦からきているのではないかと
たしか 同学年で近くの盆地の諏訪清陵高校の生徒会長だった飯沼賢司さんという別府大の教授が
八幡神とはなにか にかいてあった
八幡神がはじめて中央政権にお目見えしたのが東大寺の完成時らしい
平安京を造った桓武天皇の后は秦氏からでているという
平城京以降先祖返りした皇族貴族は八幡信仰と縄をなうようにして武家政権の終了までその信仰は続く

九州は古代歴史好きにはビビッドなエビデンスがそこらに横たわっている
伊都国は現在の糸島 末廬国は松浦 はたして卑弥呼の奴国はどこにあったのか

素人探偵は大国主命と出雲の国から読み抜いてみようとおもった
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by italofran55 | 2013-04-08 21:55 | 歴史