診察室の窓から


by italofran55
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カテゴリ:旅行( 20 )

おいしいハンバーグ

久しぶりに九州に行く機会があった
1ヶ月くらい前、ウィルス性の腸炎らしいものとなり、下痢が続いたことがあり
それいらい、体が欲求するのだろうか
肉汁のたっぷりとしたおいしいハンバーグがときにたべたいのだ

福岡空港にはたくさん洋食屋があり
まず入ったがおいしかった

それから、佐賀を旅したのだが伊万里はステーキ系の店が乱立しており
佐賀牛のメッカなのか、どこの店のステーキもハンバーグも絶品においしかった

ちなみに三茶に帰ってきて、探したが、洋食屋も息も絶え絶えな店で

ハンバーグさえおいてなかった、三茶ーハンバーグでタベログ検索3位なのになぜ?

食べ物に関しては関西から裏日本
西の田舎にかなわないと、
思うこのごろである

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by italofran55 | 2009-11-06 21:44 | 旅行
むかし、わたしのマンションの駐車場で 夜中になると
古いイギリスの車にもぐりこんでレストアしている
すてきな伯父さんがいた

車の話は好きなので、程なく友達となった
東大の理工系をでた2代目
最先端企業のオーナー会長で趣味人であるーただし酒はのまない

自動車、ヨット、モーターボート、別荘
うらやましい生活だ
スーパーサラリーマン金太郎といったひとが
たまに現実には存在するなー

今回、バブル崩壊時に安く仕入れたという 700坪 テニスコートつきのところに始めてお招きに預かった

ガレージは3台分あり、1台分に高価なオーディオがおいてある
なぜか? 奥さんが大音響が嫌いだから

古いレストアしている車とパジェロがおいてある

庭にはちいさなアトリエ用の小屋とブランコ
まさに男の遊び部屋である

その小川を隔てた隣に

むちゃくちゃいろんなものを詰め込んだ
雑多な別荘があった

夜 蛍が見えるよということで
夕方 お邪魔する

池には、川鱒や岩魚が泳いでいるー顔がわかるのでもう食用にはならないとのこと
井戸を掘って小川を流しカワニナで蛍のえさとして

高原植物や野菜も作っている
テントも張って、ただで近くの別荘族やらが来て
お茶を飲むようになっている

一見、がらくたの塊 ほったらかしのパラダイスであるが

詳しく見ていると男の遊びに満ちている
ものすごいエネルギーをつぎ込んでいるらしい

お隣同士であるから
気持ちはやはり近いのかもしれない

夜に蛍を見せていただいた後
ガレージでpavorotti and his friends のCDを聞く
私は結構酔っていい気持ちだ
会長は素面でいい気持ちとなっていた

今度は、佐島においてある
アメリカで買ってフォードのエンジンに乗せ変えた
大きなモーターボートに乗ろうという話になった

会長は買い物上手なので
新品は買わない
いわくつきをうまく仕立てるのである

どんな船なんだろう?

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by italofran55 | 2009-08-10 20:00 | 旅行

都会にかえると緑が

週末に八ヶ岳の麓の大別荘に滞在す

旧友は大成功したが、

むかし,彼はほとんど金がなくても
新橋の地下で住み込みの管理人をして
われら悪童をもてなしてくれた

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c0156217_21543035.jpgそのころのままに
まめで バーベキューでは
これ食えと あれ食えと
相変わらず
いいお母さんタイプであった

営業で成功するわな

ロフトで卓球をして、遠くに
出窓から白樺と青い空と
見知らぬ山が見える   至福の時間だ

東京に帰ってくると
あの懐かしい緑の中に
また還りたいと
憧れのように思ってしまうなc0156217_22131188.jpg
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by italofran55 | 2009-07-21 21:54 | 旅行
ここ何年かの
わたしのパワースポットといえば

いくつか条件があって
今は人さみしいが
かつては人のいきかいがあったところだ

いまは
新幹線で佐久平を降りたあたりの小さな町から
八千穂、八ヶ岳高原までにある

佐久市は、かなりローカルな話題で行けば
もともとはなかった市で 岩村田、野沢、臼田、望月 という小さな町が合併してできたところだ

そこの望月がわたしのスポットである
なぜかといわれてもわからないが

旧中仙道の宿場町で、峡といった地形の属するところに
もはや人気のない町が存在する

佐久平の端に位置し、盆地の平らから川が狭く切り立った谷に流れ込むところに
ある

西暦600年以前は、おそらく軍需産業の一大産地であった
すなわち軍馬を生産していた
ここらへんが信濃の中心であったという説さえあるし

紀元前は日本は高原国家であったという人もいる
そこがいまは人気なく蓼科に抜ける山間道路の起点となっている

そこにいくとさみしいところなのに
なにか気とか気の流れといったものを感じるのだ

わたしの患者さんに一人やはりここをスポットとしている人がいて
診察の合間にひそかにそのスポットの情報を交換している

次回はユーミンのpower spotにつづく
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by italofran55 | 2009-07-17 00:14 | 旅行

地の力 陽の光

急遽 神戸の学会がインフルエンザ騒動で中止
週末は久しぶりに、妙高、野崎湖周辺で過ごした

新緑は素晴らしいが、日の光が弱く
きらきら感はなかったな

有名なホテルで週末というのに
ディナーは3組 やはり不況なのかな
田舎ソムリエがいい味を出していました

今日の1っポン
sanserre 造り手 Alphonse Mellot saubingon blanc
En grand champ 2007
偉大なる畑にて・・か?

秀逸なる酸味 美味なる日本の田舎フランス料理にぴったりであった
ちなみに、ホテルオークラ関連ではどこにもありそう

野尻湖のボート屋のおばさん
客はぜんぜん少なくてと、きわめて寂しそう

人気のない湖好きの私にとっては
その魅力は増しましたね

ちなみに
隠れ 寂れた湖オタクです

シドニーから海岸へいった
二流住宅地の小高い丘に囲まれた
人気のない湖

フレーザー島のいくつかの湖

北軽井沢を谷のほうに下った
廃墟の遊園地の横の湖

paradisとしては
モンペリエからペリピニアンへと
延々と続くカマルグの遠景なんかお勧めです

平日の野尻湖はかなりきてますね
南東のほうはほとんど開発されていないので
日本の風景ではありません

ただし、サングラスをかけたこわい
バスつりがいっぱいいますので
かなり雰囲気はぶち壊されております



帰りに長野の新幹線の駅で
巨大なアスパラとなめこ茸を思わず購入
都会に売っていない偉大な地の力に
やはり、ここらへんに住みたくなりますね

高校と大学の同期生が
長野のデパートの社長となっていたので

懐かしく再開
見事に経済人として
若き面影を残しつつ成熟していた
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by italofran55 | 2009-05-25 21:46 | 旅行

疲れたときにいくところ

疲れる人が多いです、季節の変わり目で
温度の変化が意外に大きいですね

何のひょうしか精神科医をしている私も
精神疲労でしょうか、たくさん診察すると疲れますね

さいきん鬱は、脳の神経の部分的疲労の蓄積という考えが強いと
先輩である、防衛医大精神科教授の野村氏の本に出ていました
一般向けですが、さすがの内容でしたね

疲れには気分転換がいい、
人間の脳は奴隷じゃないので、変化を与えなくてはいけません

わたしの知人の一家に、教職を退官され、春から秋までは
日本海のある島で自然農法をしておられる人がいますが
冬は東京におられるそうです
自然半分都会半分の生活は、快適そうでうらやましいです

さて、わたくし、時間がないのでたまに
この季節は新緑を見に行くことがあります
長野県がいいです、標高差があるので6月くらいまで楽しめますね

今回は、八ヶ岳南面のちいさなホテルです
ご主人は、生物薬物系のベンチャーを若くして退職されて
日本的おもてなしの心を持った petit hotelを6年ほど前に
はじめたそうです
話し好きの方で、手作りのハーブの隠し味がとてもうまく効いたお料理の合間に
少しお客さんと話をするのがとても楽しい

そのころから3回ほどお邪魔したかなー
そのペンション村はとても素敵なところです
日本じゃないみたいだな
今回も新緑の中で桜がちょうど小道の沿ってずっと咲いていました

時間の流れがそこに行くと突然、日ごろの何分の一かに落ちます
いい季節にそこでゆっくりしたいですね

標高は1400m 
そこから小淵沢に下る秘密の道がありますーご主人に教わりました
ずっとまっすぐ南に標高差150m~200mくらいのくだりを
里に下りていく 見晴らしはよく 両側は高い針葉樹です

人影は見えない
とおくに 南アルプスがまだ山頂に雪を抱いて見えます
最高の夏のイメージがそこにありますね(残念ながらデジカメを忘れました)

雨の後なので霧が勢いよく上がり
きらきら光る若葉、とおくの緑の綾を思う存分楽しみました
次は自転車を走らせるのもいいかな

翌朝は、桜が散っているのと、雪のような霙が降っているので
見分けがつきませんでした

桜と雪は意外に同居するのでしょうか
偶然最近読んだ、西行という本の中に

藤原俊成、家定父子がやはり詠んでいました

またみむや交野のみ野の桜がり花の雪ちる春のあけぼの 俊成

桜色の庭の春風跡もなしとはばぞ人の雪とだにみん    定家

葉桜の我等がための散り惜しみ かわりて雪の華ぞ散りぬる ジュン

わたしのpetit ーfatigue すこしとれて
午前は南アルプスに向かって仕事が出来ましたね
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by italofran55 | 2009-04-30 13:30 | 旅行

フランスで最高のdrive-way

私が行ったフランスのまちで、かなり惹かれるのは
ドルドーニュ地方のカオール
ぺリゴール地方のペリジューかな
ヘンリーー・ミラーもその辺がヨーロッパでも一番惹かれると書いてあった

適当に山の中で、中世の町はほとんど完全に残っていて、

教会の尖塔が、地理的に近いのか、トルコやイスラムの様式に似ているのが
エキゾチックである

瓦はプロバンス風だったりする

カオールからベルジラックへのdrive-wayを今でも時々思い出す

美しい森や、草原の中、自分の車しか走っていないのも
爽快である

その途中に、これまた、私が一番好きな城があるーじっさい、途中も美しい城だらけではある

Chateaux biron である
日本語読みすると、ビホンに近いだろう

幹線からまた離れているので、周囲に人家はほとんどなく
宣伝の類もない

遠くから、流麗、壮大な城が小さく灰色の影を見せたかと思おうと
車で近づくにつれ、次第にその巨大な姿をあらわす

城の中に入り、高台から見渡すと
見渡す限り、庭園のような南アキテーヌの広大な
風景が現出する

人工物は一切見えない
この国はいったい とうめいてしまう

ヴェズレーの教会からの眺めもそうであった
一瞬天上界にいるかの幻想に取り付かれる

ビホン城の一族は十字軍遠征に参加し名を挙げたが
その後宮廷の争いに巻き込まれ滅んだという

フランスの城にはこうしたスケールの大きな物語がついていることが多い
西洋の何千年と続く、大旅行と大戦争のはなしには
とうてい、日本人はついていけないだろう

私の中でこの城は

美翻城として、たまに頭の中によみがえるc0156217_15135374.jpgc0156217_1514741.jpg
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by italofran55 | 2009-02-26 15:14 | 旅行

真夏のパースに行く

真冬に、南の真夏の地に避寒するというパターン

冬うつになってより、していましたが
今回は、テニス療法により、冬うつを克服しての、敢行でした。

おふくろは、なんで、わざわざ、40度以上ある、山火事多発地帯に行くのかと
大変心配していましたが、
まさか、そこに参入するほどの、お祭り男ではありません

オーストラリア・パース
今になって思い出すと、楽園ですね
東京で、暖かくなってきた日差しの中で
死後何周年記念になった、バートバカラックの音楽を聴きながら
じどうしゃをゆっくりと走らせていると
あの町の緑豊かな郊外に帰りたくなりますね



オーストラリアは広大な殖民都市を、イギリス人が設計しただけあって
どこの町に行っても、碁盤上の、整然とした住宅街がどこまでも広がっています

ですから、ストリートの名前を覚えていないとどこにいるのかわかりません
それくらい変化はなく、ヨーロッパの、教会と広場を中心に発展した路地が縦横に町を編み上げる様子に比べて、退屈ではありますが

緯度は、南極に近いので植生は、ケアンズや、ブリスベンのように亜熱帯でなく
色の薄い緑のスペクトラムでヨーロッパに似ています
海岸は、きれいな白い砂浜が続き、何もない広大なインド洋が、やはり、エメラルド系のグラデーションと広大な薄紫色の空を見せてくれます

生活は、日本よりはるかに豊かで、数字には表れていませんね

わたしは、豊かさは、衣食住、景観、時間、医療などで計れると思いますが
ほとんどの点で、日本をはるかに凌駕しているのではないでしょうか

日本が、生産を誇る何かは、彼らにとって、アジアの工場地帯が競争で供給してくれる
安い何かに過ぎません
テレビと自動車、電子機器くらいではないかなー
今その産業が、世界でどうなったかは、ご存知のとうりです

オーストラリアに不景気感はまったくありませんでした
農業大国なので、実際は、貿易する必要もないんですね、アメリカも

手足をもがれてしまい、永久にあくせく働かなければ成らなくなったのは
農業や漁業を捨てたどこぞの国ではないかなー

パースは最もほかの、100万都市から離れた100万都市だそうです
ただ、地下資源はものすごいので、お金持ちの州ではあるようです

ショッピングセンターは巨大で、清潔で、スタイリッシュです
たくさんの、いろいろな人種が行き交っています
すし屋と焼き鳥をかねた店もありましたが、やっているのは日本人ではなさそうで
BBQ味でした
豊かさは三軒茶屋のあるスーパーに入って、その差に腰を抜かすくらいでした

それと魅力は、なんといっても、都市や郊外の景観を作っていく、保持していく能力でしょうね
現代日本には、それが決定的に欠如しています

景観という生活の基本財がない、ないどころか、昔のよいものも破壊し続け、
魚の源である、海岸線さえも破壊してしまっていますね
豊かなわけないし、将来えらいことになるでしょう

少女や少年は、ティシャツと短パンで、はだしの子もいました
オーストラリアはザーラやH&Mも根付かず、コーヒーの世界チェーンもきていません
地元のもので満足ですし、けっこう可愛いです
わたしももちろん、ティシャツを何枚か買いました 600円から900円でけっこういいものがありました

ひさしぶりに、この町に生まれたかったなという気持ちを持ちました
ただ、おっさんにとっては、涼しい日もあったが、暑かった
retireした日本家族がけっこうすんでいるそうです

またいきたいけど、
春とかに来る機会が、あるのかなー?



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by italofran55 | 2009-02-20 11:20 | 旅行

京都 再訪

まわりに 京都に縁のある人が結構いて

今回も、仕事がらみでいって来た。
ふだんは寝てしまうが、慣れない人と一緒だったので
しゃべりまくっているうちに京都駅

タクシーにのり、大徳寺いちま という
赤坂でワインバーをしている女将に教わった店で
ランチ、とても可愛い 手毬寿司

大徳寺も広くて静かでいいなー
近衛家霊廟に興味が合ったが見れる訳はなし

いちまに来る途中に 運転手が気を利かせて
紫式部の墓を教えてくれた

堀川通りにあり
寺の中になく、なにかfictionめいた
彼女と小野のたかむらだったっけ
二つの墓だけ
何か不思議な空間だ

現代の私たちにとっては
あちらこちらに物語がころがっている
Kyoto-京都 自体が
現代の町のそこここに
隠喩ともいえる昔の建物や庭をちりばめた
wonder world に思える

さあ 謎を解いて御覧なさい
といった

紫式部自体が
高度に知的な貴族階級の作り上げた
架空の人物だった可能性があるよーな

シェークスピアのように
なんて思わせる墓であり

折りよく
隣に咲いていたのは

まさに 
紫式部であった。

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by italofran55 | 2008-09-18 00:57 | 旅行

義仲寺の墓

京都の夜を過ごしたあと、琵琶湖の大橋のたもとあたりに泊まり、翌日は
日吉大社、園城寺を散策
近いので、源義仲の墓といわれる、義仲寺によってみた。
もちろん 芭蕉が遺言で自分の亡骸ここに葬って欲しいといってのことらしいので。

悲劇の人が好きでとの理由であるが、日本史にもっと悲劇の人はいる、
なぜ 義仲?という疑問は、現代の私にはあるかな。

門下の俳人もそう思っていたのか

木曾殿の隣に眠りさむかろう というような句をよんでいる。

ほとんど庵のような小さな寺だ。昔はそこそこ大きな寺であったらしいが
俳句の寺らしく、集積回路のように小さな空間にいろいろなものが詰まっている

はいって庵の裏、右奥に、ほとんど場所のない、隣は人家の塀の暗く湿っぽいところに

なんと、保田與重朗(日本浪漫派、戦前の国粋主義的文芸評論家)の墓があって
びっくり、これは結構大きい あとで不必要に大きいと印象を持つにいたる。

そしてその隣に、黒くてそう大きくないが、品のよい灯篭ふうの墓がひとつ

無 とだけ書いてある
興味を持って、何とかその狭い空間から、裏を見ると
三浦義一 とかいてある。
右翼の大物の名前に似ているが。

庵主と思われる女性に聞くと、この寺は、戦後うち捨てられており、廃棄されそうになっていたこの再建にちからのあったのが、三浦義一という戦後右翼の親玉の一人であるらしい

この方は若い頃は短歌、文学を目指し日本浪漫派に属していたか、そのころから保田與重郎としりあいだったらしい、後に右翼運動家となっていく 中国南京における三浦機関 のボス
戦後は保守政界に深くかかわるものとしていろいろな疑獄事件に顔を出す。
アメリカとの関係ももちろん示唆されている。

義仲 芭蕉ときて思わぬ方向にそれてきているが、そんな人の墓が 無 という墓碑銘とともにあったのである。
天皇を輔弼しようと武力で禁裏近くまでいたり、その後にやぶれ、自害にいたる。
三浦の中では、いくつかの天皇をとりあった昔からの歴史上のクーデター 明治初期または、昭和の痛ましい二つのクーデター事件がオーバーラップしていたのではないかと思われる。

しかしである、無の墓碑銘は何を示すのか
西欧的な価値観で行ったらこの表徴は出てこないであろうし、どんな悪人でも nothing、no,nie,non とは書かないだろう
やはり主題は  神 愛 天主 家族 といったことになるか

わたしには、はじめ、この無の墓碑銘はニヒリズムの印象が強く、悲惨ー陰惨な感じを受けた。
戦後、経済的、権力的な意味では満足の行かないことはなかったであろう人がである

もう一人 無 の墓碑銘を持つ有名人をわたしは知っているが、そのときも凄惨な印象をもった。松田優作である

三浦義一にとっては 無 はある東洋的美意識を持った言葉であったのか
それとも、人が生きている間に当然引き裂かれて生きている生 そのものからの別れを
ある、悟りのもとに搾り出した一言であったのか

ただ 無 とは日本的、アジア的な粋を表しているのかもしれない
戦国の武将の旗印や武具につけていたという話もある

右翼思想家にとっての天皇制、天皇、天皇家は政治実現のための仮想ー懸想体制であり
あの世に持っていくほどの何事でもないという考え方でもあろう、
それは押込めの思想にもつながるのか
天皇の右翼嫌いもわかるきがするが

彼の秘密に満ちた一生は 病苦 作吟 革命 テロリスト 浪人 軍情報機関の幹部 東条を暗殺に行きかえって意気投合 敗戦 
そこでアメリカと日本の反共勢力と何があったのか、 右翼として政財界に恐れられる 疑獄事件にもたびたび噂される  とある劇場的人生をおくっているようだ。

そこにはなにやら 善と悪の深み、逆転 信仰と裏切りの極限のはざまが見られるような気がするのである

病、そして老化、死の予感の前に

旅にやんで 夢は枯野を かけ廻る

とした風景が浮かんだのではないか

それは、緑野、若葉でもなく、荒涼とした日本の冬の風景である

日本民族でもなく、天皇でもなく、そのとき彼の使い慣れてきた言葉の示す極北

そうであれば、無としか書かざるを得なかった。

そうおもえば、わたしにも少しは納得できる一言として受け取れる。

義仲寺にいって思わない印象を持ってしまったが、

このところそこは俳句の聖地でもあると聞き、少し俳句の本などを読んだりしている。


保田與重郎の芭蕉という本も買ったがよくは読めなかった。やたらにわが国の歴史という言葉がでてきて、読んでいて狭苦しすぎるのである、
もうこのたぐいの本を若い人が読みこなすことはできないであろう。

小林秀雄の 無ということ を読んでみた

偶然にこの寺に近い坂本の町のことが出ていた
時間がたつのを忘れたような、私の好きな日本のいい町である

ふと、無 ということが 悪いものでなかったような気になってきた


血腥き 武者等に囲まれ 芭蕉ねる 
頭のお医者さんのひとりごと
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by italofran55 | 2007-12-03 09:29 | 旅行