診察室の窓から


by italofran55
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カテゴリ:医学( 90 )

こころと傷

大地震の精神的な傷 原発の被害にあった傷 
どのような傷を 人に与えるのであろうか

傷と精神 傷と文化は 実は深い関連があるかもしれない

文明の発祥は 泥や石につけた傷から始まる
おそらく そのときから 人は時を知り
季節や周期を知り、時に管理され、あるいは管理することを始める

そのまえに、DNAの傷は、次第に違う生物を生み
その中で環境に適したものが生き残っていく

そもそもDNAは、始まりのマークと終わりのマークがなければ
複製もできない
傷は始まりであり、終わりである
最後は遺伝子の傷で生物は死んでいく

精神分析でも人は生まれ落ちたときに母との分離という
最大の心的な傷を受けるという仮説を立てている
あらかじめ 人は失われているというのである

傷は記憶そのものとも関係があるだろう

軽い刺激は こそばゆい かゆい
あるいは 性的な刺激となる
重い刺激は 残り 傷となる

傷ついたときの記憶は
ときとして甘美になり

時として
不安や恐怖の元となる

心的外傷という言葉がある

どんなものが心的外傷になるかは
主観主義と 客観主義とがあるようだ
自分がつらいと思ったものは傷になるという考え方や
一般的に 客観的に傷になるものは
いろいろな形でやはりどこかで傷になっているという考え方である

わたしたちは日々 いろいろな傷を負って生きている
年をとった人たちの
深いしわをみると
それもおそらく
皮膚の小さな傷の集合と思われる

良い傷を負って生きてけるだろうか
それが問題だが

ひとは残念ながら
偶然に支配される動物でもある。

偶然に対し反抗して
生きるのが 人間の運命なのだろう。
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by italofran55 | 2011-04-01 22:31 | 医学

うつの診断Ⅰ

うつの診断が、精緻化するとともに 難しくなってきている

うつが果たして時系列で見た場合 うつだけでなく
初期の動揺期に軽そう、または疲弊を伴うそう期があるという見方である

単極のうつも双曲ーそううつに包含される
すると うつだから こうしようという
単純な治療法でなくなってくる

もうひとつは、軽度の高機能広汎性発達障害の結果
30代あたりより 一見 適応障害の様相を見せながら
うつを呈してくる一群があるという見方がある

また双曲障害Ⅱ型という、軽度の躁状態を見せるという
躁うつのなかに
成人の多動性障害やADHDが紛れ込んでいるという説もある

躁うつのうつ期に 抗うつ薬は効果がないという主張や
発達障害に やはり抗うつ薬は効果がないという話とは逆に

いや SSRIが効果があるとのことで
2次障害のことを言っているのかもしれないが

成人の発達障害のひとに大量の抗うつ薬を投与している先生もいらっしゃる

うつ病のひとで、抗うつ薬に対し non-responder であったか
ほかの、診断があったのか、また難しくなる
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ところである

抗うつ薬が万能でないということを考えるのに
よい時期が来たともいえるし

診断が混乱しやすくなってきているともいえる。
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by italofran55 | 2011-03-27 21:49 | 医学

過去の見え方

現在に 少しでも感謝すると

過去が暖かく、自分を受け入れてくれたものに見えてくる

現在に、不満を抱くと

過去が自分にとって苦難に満ちたものに

見えてきたりする。

今の感情状態が結構重要だ
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by italofran55 | 2011-03-21 09:50 | 医学

フロイトのうつ論文

いつも、おりにふれて読んでいる
うつの精神病理の第一人者がいる
さすがにこのところ鼻についてきたが
講演も聴くと
すばらしい人なんだなと気がつく


私はフロイト読みではないが
そんな人が進めていた
フロイト唯一のうつ論文が

メランコリーと悲哀 である
読んでみて
驚く

そのimaginationは、その後のうつ論のすべてを
包含していると言っても不思議でない。

なぜこの人が、こんなに素晴らしい着想を持つのかと思う
それは、ある意味で現象を疑う所作でもある

双立性という言葉が頻繁に出てくるが
それは、あたかも
フロイトの思考の本質を表しているともいえる

双立性 なんと両価性と似た言葉だろう

その時代
自我を発見する、または近代自我の構造を

それはある共通性 共時性の発見であるが

そこに逆説がある

個性や個別性の奥に
共通してしまう、非個人性や普遍性を見てしまう

最先端を行っているようで
古典である
個人のメカニズムを語っているようで
種 全体のメカニズムを縦横に語る

個人はあるようで無い

私の欲望は、私の欲望でなく
あなたの欲望である

この激しい人間分析の欲望の背後になにがあったのか
知りたいと思う

意外に 旧約聖書やユダヤ人の長い思考経路が出てくるかもしれない

個人の苦悩の果てに
集合が出現する
あるいは、集合があって個人が派生する

あたかもフロイトの時代
個人を否定した
全体主義の時代が
非情な相貌をまとい
出現した

現代は全体主義の残滓と戦っている
それゆえに
個人も確定できないがのごとく

個人が確定できない苦闘の時代に
あわせて
うつといわれる大量の
精神障害が出現してきた


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by italofran55 | 2011-03-09 23:11 | 医学

こうと決めたら

わたしは、気づいている 
あなたの気がついていないなにかを

ひとはあなたが気がついていないことを
容易に気がついてくれる
あなたの鏡だ

ひとが気がついていない
気づきをどう伝えるか
どう教えるか
それは難しいことだ
自分で気がついてくれない限り

こんな真理がありますが
と おしつければ
反発されるだろう

私のようなへそ曲がりは
とくにそうだ、

ああ 

偉い人、年上の人、友情のある人の言うことを
聞いておけばよかったと
思うことがいかに多いことか


精神科に来られる患者さんに

この おっさん医師の苦労が
伝わるといいのだが


言葉では伝わらない
なにかがある

どうして
君に伝えよう
本当に伝えたい何かを

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by italofran55 | 2011-03-08 11:25 | 医学

storyを書き換えるⅡ

storyは簡単には書き換えてはいけないし、できないのは
検察の特捜事件でもあるように
人がそのことによって決定的に変わってしまうからだ。

書き換え方には精神療法的に言うと
二つある
原理主義と、適応主義である
ある原理が、人の意識世界を支配しており
そのstoryからはずれていると、
人は苦しんだり、症状が出たりするというやつだ

その根本原理はリビドーだったり、性欲だったり、支配-権力欲だったり
  遺伝子を残そうとする本能だったりする。
それが当たっているか、外れているかはわからない。
むしろ、作られた生物である人が、作った根本原理がわかるのかと言うこともある。
動物は自分のレベルでしか自分を理解できないだろう。

もうひとつは、とにかく根本原理はわからないが
平均的、普遍的、健康的な思考方法、行動方法をとにかく
身につけてみよう、そうすれば、健康で平静な世界が開ける
根本原理はわからないがというものである。

認知療法や行動療法はこの範囲のものだろう。
そこにロマンはなくアメリカのプラグマティズム、適応主義的なうさんくささはあるが
効果があったりするし
なにより間違った根本原理に犯される心配がない。

少なくとも深く考えてな精神療法をする人たちは
この二つの中で悩むのではないか。
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by italofran55 | 2010-12-16 23:02 | 医学

storyを書き換える

私たちの元には、こまった症状や、こまった関係について
相談をされるかたがほとんどである

困ったことは連続し、繰り返される

どうしてだろう?

どこかで困ったストーリーを作り続ける誰かがいるんだろう

そこで、ストーリーを書き換える作業をし始めるわけである

薬もその助けの一つではあるが
主役ではないな

新しい物語を綴るのは
あなた

そして、それを脇から眺めているのが
地味な役の精神科医やカウンセラーなんです。
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by italofran55 | 2010-12-14 20:58 | 医学

N博士の思い出

N博士はvividな意味で司法精神医学の面では
日本有数の働きをしている先生だ

そちらに疎い、というより避けている
わたしでも、たまに先生の意見や論文や
講義録を目にすることがある。

N博士は、もう十数年前私のクリニックで
外来のバイトをしていたことがあるのだ。

先生はまだ若く、たしか、マツダのロードスターをマニュアルかなんかで
乗り回していたか、
しかし、その頃から人並み外れた硬骨の人であった気がする

たしか、父上か叔父さんかが特攻隊で亡くなったといっていた。

それからほどなく、警察関係の研究所にいかれた
現場の司法精神医学的問題や、事件解決に当たっての捜査の心理的側面からの医学的な支援なども行っていたのではなかろうか

というのも、現場の日本警察の閉鎖性やプロファイリング的な意味での遅れを嘆く
一文をどこかで読んだ覚えがあるのだ

さいきん、日本の精神科医の同業者の組織で行った講義録を読む機会があった

なるほどこんなことやっているのねというほど
総合的で最先端な研究をなされているのでびっくりした

現在犯罪を犯す傾向がある性格を
アメリカでは反社会的性格障害とよんでいる
実際に犯罪者の何割かはこのタイプらしいのであるが

この診断が見直されて
サイコパシー型というものになるだろうとのことである

少し簡単に索引させていただくと

このタイプは自己中心的で、特権があり優遇されるべきとの思いが強く
自己の利益を満たしてくれる目標に意欲を持ち
他人を支配したがり、他人に損害を被らせたり支配したがり
他人を操り、利用し、騙し、詐欺にかける傾向がある

ということである
そして、このなかには社会的に成功していくタイプがあり
間接攻撃が得意で
実業界、学会、政界には結構いるとのべておられ、実際、政界の現状なども
そうみられるといい、そうした人はサクセスフルーサイコパシー型というらしい

成功している社会人には結構あるというのだ

8月は終戦の番組をよくやっており、太平洋戦争での軍部による
悲惨な話が多く、目を覆いたくなるのだが 
日本軍は負け始めると、棄民に加え、棄軍ということさえなしていたという
しかも上層部は安全なところで政争にあけくれていた

日露戦争の奉天会戦にてマッカサー元帥の父がやはり武官として
観戦しており、そのときに日本の将軍の尊大な態度にびっくりしている
その伝統であろうか

よく考えてみると軍部の偉い人にはこのタイプが実に多かったのであろうと思われるが
成功型サイコパシーはそんなにたくさんいるものでもないはずだが

ナチスドイツの話などを聞くにつけ
非常時には人は変質してしまうのであろうか
または教育-宣伝の問題が多いのであろうかとも思われる。

N博士のこの講義は精神病理学、神経心理学、脳の画像診断学、統計学、神経薬理学を駆使した見事なものであった。

博士の根底には、特攻で死ななければならなかった肉親への思いがあるのではと思われる
そして、博士にも真の意味での憂国の情があるのだろう
このままで日本はいいのかという思いもあるのだろう
そうでなければ、このような苦労な仕事に手を出すまい
たいへんな愛国者である

付け加えれば、博士はそうとうチャーミングな美女であった。
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by italofran55 | 2010-08-13 22:35 | 医学

時差ぼけとうつ

ヨーロッパに行くと1~2日で向こうの時差になれてしまうが
帰国すると、10日から2週間調子が悪い
歳をとったせいもあるだろうし、こちらではすぐに診察室で
日も浴びずに頭脳労働のためもあるか

うつ状態とはこのことかと
まじに体験した

昼夜逆転、体は眠っているが、脳は眠っているようで起きている
その結果、妙にリアルな筋立てがわかる悪夢を見る

頭は起きているときに妙に体がだるく 脱力感を感じる

仕事でせいいっぱいで
1週間くらい記憶が飛んでしまう
意欲はなく、何かを楽しもうという余裕がない

食欲も規則的ではなく、ときに胃の調子はわるい

すべて時間の位相のずれが引き起こしている
うつ病はこんなところに秘密があるかもしれない

jet-lag 時差ぼけを繰り返すと
うつになりやすい または発がん性が高まるという論文さえある

私の患者さんの中でも
頻繁に外国出張があり、うつ的な人が多いのも事実ではある

メラトニンというホルモンがあり
それが時差ぼけを解消するというので飲んだことがあるが全く効かなかった

白人には効くが,
日本人で効いているという人に出会ったことがない
アミノ酸からできているから、そのまま飲んでも
胃腸でアミノ酸に分解されてしまうのではないかとも思うが
今年の6月に武田製薬から発売されたというから
ちゃんと吸収されるのであろう

時差ぼけが解消してくると
緑したたるヨーロッパの田舎が恋しくなる

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by italofran55 | 2010-07-25 10:46 | 医学
夏は、佐久平駅で降りてレンタカーを借りて
八千穂高原や 八ヶ岳高原に向かう

何年か前から、佐久平にある中込学校や五稜郭に似た城跡ー龍岡城があるとのことで
車で巡ったことがあった

中込学校はすぐわかり
そのあと、城跡に向かった

野沢という宿場の近くを走っていると
城跡らしい 明らかに掘りに囲まれた古跡があった
ここが龍岡城の跡かと回っていると
となりに鄙にはめずらしい、門前の出店のある
立派なお寺があった

しかしそこは龍岡城ではなかったので
すぐに八ヶ岳に向かったのである

それからほとんど毎年佐久平を通り
龍岡城も訪れた

ところがはじめに見た城跡と賑やかなお寺がどこかわからなくなったのである
毎年 佐久平を走ったがついぞ見つからない

そのうちにあれは私の思い込みで
幻想だったのだろうと言うことになった

佐久平のほとんどの神社仏閣をみてまわったので
佐久の歴史には詳しくなってしまい
望月という不思議な街をすきになってしまった
佐久平は奈良時代やその前から 牧という
軍事用の馬を産出していたところで
今で言えば巨大な軍需産業があったようなものらしい

ところで忘れていた城跡やとなりのお寺に
偶然であったのである

それはやはり野沢という街の城跡とぴんころ地蔵という
その辺では有名な場所であった

ところがその城跡が私の記憶と微妙にずれているのである
これなのか、べつにあるのか?

ここで記憶が絶対的に残存しているものなのかーデジタルの記憶のように
または 人の記憶は主観的 主体的に書き換えられているものなのかという
神経心理的な主題にぶち当たる

現在では記憶は書き換えられているー少なくとも呼び出したときに
感情的色彩を帯びると言う見方が主流となっているという

私が見た城跡は、先ほど述べたぴんころ地蔵のとなり城跡なのだろうか
それとも千曲川べりにあった古い神社を城跡と勘違いしたのだろうかと
考え込んだのだ

疲れていたので書き換え可能な程度の記憶になってしまったのだろうか

記憶が書き換えられているとすれば
われわれの同一性はどの様に
担保されるのか?考えてみた

おそらく書き換えの方法、手順が平均的であり安定していることが
同一性の基準となる

書き換えの方法が狂ってくることにより
認知障害ー呆け
ある種のパーソナリティ障害
もっと敷衍すれば
精神疾患 妄想 気分障害などがでてくるのかもしれないと
とめどなく考えている

記憶と同一性については、しばらく追求してみよう

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by italofran55 | 2010-06-16 23:37 | 医学