診察室の窓から


by italofran55
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カテゴリ:歴史( 9 )

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因幡の白ウサギの話は子供の頃からみんなが知っている
絵になりやすいのでイメージで覚えていると思うが
背景の意味を解釈してみよう

白ウサギは隠岐の島から因幡に渡るときに
フカに私の部族の人数と比べさせてよ
並んでみてと頼み
フカの群れにならんでもらいその背中をぴょんぴょんと跳び越えて
まさに因幡の浜につこうとするときにだましたのよと告白して
毛をむしられてうち捨てられる

通りかかった大国主命の兄たちに塩を塗りおこめば
早くよくなるといわれてやってみると
余計にひりひりして苦しんだ
末弟の大国主命が真水で洗いがまの穂をひいてその上を寝転んでいれば直ると教え
その通りになったウサギは貴方は因幡の八神姫と結婚できるでしょうと予言し
婚姻が成就したというのである。

この背景の意味はあきらかであるがあまりに直截な話なので作り替えられたのだろう
象徴しているものを置き換えて読んでみよう

白ウサギは女性である 隠岐の島から因幡に渡ろうとしている
フカの群れは軍隊であろう
白ウサギは因幡の姫である八神姫とごく近い仲であるように思われる
一族か姉妹、近習の姫であろうか
おそらく隠岐の島の領主のもとに嫁いでいた

隠岐の島は大国主命の兄弟にとって領地獲得の標的となっている
兵に囲まれた隠岐の島の姫は命からがら島を抜け出し故郷の因幡に着こうとしたところを
大国主命の兄の兵、または兄によって乱暴、強姦されてうち捨てられる
末弟であった大国主命は白ウサギ姫をすくい姉である八神姫と婚姻をして
島根のとなりの地方鳥取あたりを勢力圏に引き入れた

大国主命の一族が勢力を拡大していく上でおきたエピソードを
神話として読み続けられるように書き換えたとみてよい

しかし八十神の反撃がいつか起こるだろう

大国主命一族が滅亡した後八百万神たちさえ
出雲大社に集まってしまったのだから
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by italofran55 | 2013-05-10 12:55 | 歴史
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大国主命はどんな人物だったのだろう 
出雲大社の前にある酒造店に大国主命の名乗った名前を張り出してあったが20個くらいあるのだ
古代ではよくあることだがなぜこんなに多いのだろう

これは大国主命がいくつかの人物のエピソードからなりたっている人格だからではないだろうか
大国主命という古事記におそらくはじめて出現したものも地位の名称ともみてよい
大王とか天皇とか
富永仲基という江戸期の哲学者が日本の宗教の傾向として加上という概念を述べている
後世の人がある宗教的対象に対して事実を次第に付け加えていき複雑怪奇なものにしてしまうことだが
それが起きているのではないか

大国主命には八十神という一族の神がいてしょっちゅう争乱を起こし
彼は何度も死んで黄泉の国に行き あるときは母が高天原に行き救済を頼み生き返っている
当然だがかなり大量の婚姻をなし180人の子供がいたという
これは現実にあるかな?ドレスデンのザクセン王国のアウグスト強王は350人の子供がいたというが

これも複数の人物の合成と考えてもいいだろう

彼自身は高天原の素戔嗚尊・スサノオの娘をもらっているともあるし
実の息子とも2代~6代あとの子孫ともいう 出雲の高位の王族が混じっているのか

天上にあった高天原政権との距離は近くなっている

八十神といえば思い起こされるのは天の岩戸の事件の時の
八百万神であるーこのことについてはあとで述べよう

大国主命は国引きの神話によるように 新羅 隠岐 北陸のの越ー高志より土地を引っ張ってきて
出雲の国を作ったとある
逆にみてみよう そこまでが勢力範囲だったと 梅澤猛説では新羅からきた王朝とあったかな
美保神社の町にある青垣通りにいくと金沢藩が漁を監視に来ていたという家の後があった
古来より交通の盛んなところだったのだろう
諏訪神社の祖先たちもきっと越ー高志を通って落ちていった

国引きの神話と同時に因幡の白ウサギの話も苦闘して国を広げた話として
読むことができる
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by italofran55 | 2013-05-06 10:59 | 歴史
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恵比寿さまが大国主命であると思っていたのは間違えで
大黒さまがそれを表し 大国主命の子供の事代主命(ことしろぬしのみこと)が恵比寿さまにあたるらしい

事代主命は現代風にいうと 事情を知る男 すべてを知る男 かなり意味深な名前である
しかしその昔の意味では神の予言を預かる神官という意味らしい、
大王側から派遣された神官という説もある

その男が国譲りにおいて父に決定的な進言をしている
大和朝廷において最大の国家統一の功労者がその後どうなったのだろうか
まつられている美保神社の対岸にあり今はうち捨てられている倉吉にある波波伎神社の山々に隠れ住み
なくなったそうであるという

国譲りの最大の功労者にしてはあまりに寂しい死に方である
彼の兄弟の大国主命の子供タケミナカタの命は高天原政権から派遣されたタケミカズチの命と争って負けて
日本海側船で転々とし新潟側から信濃の諏訪地方に入り諏訪神社を開いている
100人単位の部隊でしかなかったのではあるまいか そのころの人口密度 道の状態 国の間の連絡状態
食べ物の生産量 保存法からいって その程度の部隊で地方の征圧が可能だったろう

国譲りははじめは争乱で始まり大国主命側の敗走で終わっているのだろう

その条件として出雲大社という当時としてはスーパーに大きな神社が造られた
しかし大国主命はそこに住まない
それをつくってくれるなら霊界に身を引くというのである
これは何を意味しているのだろう
単純に考えれば大国主命は戦乱によって霊界に行ってしまった-殺された
そして普通はその子供である事代主の命が出雲大社の神官長になるべきところを
引退させられてしまって 戦争の功労者が神官家を占めることとなる

出雲大社の神官家は千家ー北島家さんという80代続く家系がある
1世代20年とすると1600年は続いているーそのころ漢字が伝わっていたのだろうか?
ちょうど西暦400年 卑弥呼と大和朝廷成立の歴史空白の時代である

この神官家の祖先は天照大御神の子供でアメノホヒといい出雲説得に使わされて逆に大国主命に説得されて部下になってしまった人であり、その子孫であるという

出雲の有力者となり高天原ー出雲戦争にて決定的な裏切りをしたのではないだろうか

古事記の初期の項目においては出雲の国譲りがかなりの部分を占めているらしい
それだけ大王の国に歴史にとっては重要であった事柄だ

しかし大国主命の子孫はその後にはおそらくでてこない
出雲の部族連合国家において頂点の家は抹殺されてしまったのだろう
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by italofran55 | 2013-05-04 19:51 | 歴史
北九州の唐津あたりが好きである 南西に開けた海岸は明るい 大陸からの文物を取り入れていた古代の希望が今も伝わってくるようだ 
そこでは松本清張の古代史の本が結構よかった 幅広い人である そのお孫さんが慶応大学精神科の薬理の主任をしていて杏林大学の准教授になられた 幅広い人である

素人歴史探偵は唐津あたりを散策していてどうも秦氏が大陸や半島から上陸したことを知った
唐津の南にいろは湾というあまり人知られない美しい湾がある
そこに波多津という小さな港がありそこが上陸の根拠地だったのではないかと考えている
湾の奥深くは海が荒れることがない 古代の海洋民族はそこに港を築いた
中津である 葦原の中津の國の原型はそこかしこにあるだろう
もちろん典型は出雲の中海と宍道湖に見られる
波多津から秦氏はまず九州の各地にでていって土着日本人と混交した

八幡信仰は宇佐神社に土着の神と秦氏の氏神とにておこり、それは弥秦からきているのではないかと
たしか 同学年で近くの盆地の諏訪清陵高校の生徒会長だった飯沼賢司さんという別府大の教授が
八幡神とはなにか にかいてあった
八幡神がはじめて中央政権にお目見えしたのが東大寺の完成時らしい
平安京を造った桓武天皇の后は秦氏からでているという
平城京以降先祖返りした皇族貴族は八幡信仰と縄をなうようにして武家政権の終了までその信仰は続く

九州は古代歴史好きにはビビッドなエビデンスがそこらに横たわっている
伊都国は現在の糸島 末廬国は松浦 はたして卑弥呼の奴国はどこにあったのか

素人探偵は大国主命と出雲の国から読み抜いてみようとおもった
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by italofran55 | 2013-04-08 21:55 | 歴史
フライトが米子空港に近づくと市街地と海から来た水道をはさんで平行に細い山並みの半島が何キロ 何十キロと走っている 美しい山陰海岸の眺めだ この風景が出雲大社 日御碕のあたりまで複雑な地形とともに続く
この辺は大昔は本土とつながっていない多島だったようだ そこに本土とつながる根がはり島根の地名ができたのだろう
地元の働き者の老婆は自分たちのことを島の女性はね と私に語った 働き者で男を立てて嫁にいいよ どう一人 もう遅いかと笑われたが
飛行機からその半島の突端から数キロのところに小さな入り江と何軒かの小さな旅館の見える港がみえた。
日本の美しい風景だ あそこに行ってみたいがその機会があるのだろうか?

米子空港に降りてレンタカーを借りる このあたりは古い神社が無数にあるところだ
下手をすると出雲大社より古いなどと書いてあるものもある

まだ日暮れまでには時間があるちかくにある美保神社によっていこう
車を走らせていると例の小さな港に向かっている自分に気がついた

美保関の町につく、小さな漁村、寂れたいくつかの旅館、夏は観光客は多いだろうが
宿泊は皆生温泉や玉造温泉にいってしまうだろうな

美保神社は全国の恵比寿神社の総本山 しかし神域は狭く意外に小さな神社だ
背後にすぐ亜熱帯の杜山が迫る 神社には詳しくないが背後の山自体が神で出雲大社もそうだが
社に迫っている

祭神は恵比寿様の本名事代主命となぜか義理の母にあたる大国主命の奥さんの三穂津姫命
珍しいことに本殿の屋根も逆ダブルの字のような珍しいものだ。

美保関は太古の出雲の国においては副都心のようなものだったと思われる
大国主命と協力して国をつくった少彦名命もここにいたし
国譲りの時に息子として相談にのった事代主命もそのときにここにいる
内海の港として海洋民族はここを最良の基地として選んだのだろう

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by italofran55 | 2013-03-28 11:07 | 歴史

歴史は辺境から興る

イギリスの歴史家 トインビーでしたっけ
有名な言葉らしいです

ヨーロッパの歴史は比較的好きなので
いろいろ読むたびにこの言葉の意味がかみしめられます

はじめは、ヨーロッパに対しての辺境という意味で
元王朝の世界的膨張に対してのヨーロッパの危機といったことかと思っていましたが

歴史は常に中央に対する辺境の勃興で
ダイナミックに動いているようです。

日本でも飛鳥王朝は奈良盆地の山辺です
もっとたどると談山神社 長谷寺のほうの山奥 に根拠地があったかもしれない

徳川家は三河の松平郷という山奥

信州で言えば真田家の真田の庄は菅平に近い小さな郷です
結構 似た地形なのではないかな

山奥の貧しい剽悍な兵が豊かな平野の農民兵よりは
常に強いのでしょう
もちろん、盆地、平野に進出してからの戦略がそれから伸びる
大名、王朝の行方を左右するでしょう


ヨーロッパでいけば
ハプスブルク家はもとはスイスに近いオーストリアの山城
鷹巣城の小さな領主でした。

ブランデンブルク辺境伯からプロイセン王、北ドイツ連邦の王、ドイツ帝国の皇帝となり遂げた
ホーエンツォレルン家
もとは、南西ドイツ シュツットガルトに近いところの領主でしたが

バイエルンのビテルスバッハ家から代官として
スラブ人が住み、当時はドイツに入っていなかった
ブランデンブルクという田舎に代官として派遣されました
ですから辺境伯などという名誉か、田舎もんかわからない
名前を与えられていたのです。
ブランデンブルクからベルリンを造りました。
栄光のブランデンブルクを忘れるなという意味で
有名な門を造ったのです。

ホーエンツォレルン家は最後にはドイツ帝国を形成するときに
本家のバイエルン王国を呑み込んでしまいます。

オーストリアも元はといえば未開の地であったようです
バイエルン人が東の領土としてオーストリア開拓に乗り出していました
そこに、バイエルン王家から代官として開拓地に派遣されたのが
ハプスブルク家です、艱難辛苦とあとは婚姻戦略で世界帝国を築いてしまいました。
ミュンヘンからザルツブルクにドライブしたことありますが
まさに、一帯のヨーロッパでも有数の美しいところでした
老後に棲むなら、プロバンスかここかな

プロイセンとオーストリアが喧嘩したとき当然
バイエルンはオーストリアと組みましたが負けました。
プロイセンがドイツの北東の小さな国から成り上がったのを
明治の元勲たちはまねしようとしたのは余りにも有名な話です。

プロイセンもオーストリアももとはバイエルンの代官からと言うのは
おもしろいではありませんか

もっとつきつめていくと
現在のバイエルンはもともとはケルト人の住むところで
ローマ人が征服し
そのあと、ボヘミアあたりにいたゲルマン民族の支族である
バイエルン族がそこから現在のバイエルンにでてきたそうで
バイエルンとボヘミアは同じ語源だそうです。

バイエルンの歴史一つをとってみても
中央と辺境が逆転しながら歴史は進んでいるようです

古代エジプトにとってトルコやギリシャの小さな島々

ギリシャにとって植民市を造っていたイタリア半島のローマという元気のいい村落共同体

ローマにとってゴール人という未開人の住む今のフランス

フランス王家にとっての、ケルト人の住むブリテン島

イギリスにとっての清教徒を追い出した未開のアメリカ大陸

みんな辺境でした

そうした意味で辺境のエネルギーは凄まじいのでしょう
日本も辺境であるという意識のうちは発展しましたが
これからしばらくは豊かであったという幻想に
苦しめられるのでしょうか

辺境の持つエネルギーは残念ながら
私にはありません
そのため 仕事は小さなままです(笑)
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by italofran55 | 2010-08-05 22:20 | 歴史

ベルリン 戦争の傷跡

西ドイツは何回かいったことがあり
ライン、ドナウ の流域の柔らかな緑、優美な宮殿、豊かな地方都市に魅入られていたので

ベルリンにも期待していた、おそらく妖しい魅力と、ポツダム広場に建つ、ソニー・ヨーロッパにみられるような
超近代的なものが混在している町と思ったが
期待はずれであった

ブランデンブルク門は、テレビに映っているよりは質素であり
国会議事堂や博物館島を中心とした昔の石造りの地域を除けば
第二次世界大戦時のベルリン攻撃のためか、町はほとんどが新しいビルである
そしてその石造りの建物も機関銃の後が生々しく
また、爆撃や火事のためか黒いすすがついたままであった

愚かな戦争の傷跡が残ってあり、またわざと記憶のために
残してあるのだと感じられた
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by italofran55 | 2010-08-01 12:17 | 歴史
NHKで韓半島の三別抄という番組をやっていて
興味深く見た

高麗の昔の詩歌の選集かなにかとおもっていたが
高麗の将軍の反乱軍の名前であった

韓半島は大国に囲まれ、古来から戦乱が絶えない
地政学的にも不安定な場所である

物語は開城にあった高麗王朝が当時の中華大国ー元に攻め込まれ
融和か抵抗かの選択を迫られ
抵抗勢力が珍島 済州島などに小さな王国を立てていたというのである

済州島には最後に蒙古軍が攻め込んできて
滅亡したと伝えられる

その同じ年代に
沖縄本島で興った王様の石垣造りの王宮の瓦と珍島の王宮の瓦とが
酷似しており、残党が沖縄に逃れた可能性があるそうである

ヨーロッパには北欧、イギリスを中心としてこんな話は山ほどある
アジアにもこんな話があってよい、むしろ胸躍る話と思うが

ただこの地理を思うと複雑である
開城では北の政府の元に人は塗炭の苦しみを舐め

済洲島ではつい何十年か前
反政府勢力7万人が殺され
あの島に眠っている

沖縄も知ってのとおりである

平和な生活を求め、立ち上がり戦争に巻き込まれる
東北アジアの人たちは

シジフォスの神話の主人公のように
苦難にあう

残念なことに、平和は祈るだけではこない
日本に一応の民主主義がもたらされたのも
何千万、何百万人の犠牲者が出た後だ

中国にはもたらされた惨禍の後
革命はおきたが民主主義は来なかった
今も普通選挙があるとの事も聞かない

これからも世界は安穏ではないだろう
シジフォスはわれらの運命でもあるかもしれない
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by italofran55 | 2009-10-19 14:29 | 歴史

ナイフのようなあいつ

高校時代の友達だ

いつも怒っていた

大声を出して、教室を出て行ってしまったり

顔を傷だらけにして
学校に来ていたっけ

狂犬のようなやつで
僕も胸倉つかまれたなー

やつは卒業のころまでには
やさしげな態度の男になっていた

荒れていたやつのそんな変身は
結構あるかな

そのごキャリアーフラッグの操縦士になったときいた
格好いいじゃないか

でも、最近病死したとも聞いた
短気なやつは、そんなこともあるのか

悪仲間は落ち込んでいた

今から思うと
あれが、奇妙に青春を表していたような気がする

やるせないエネルギーを、いききらせた両肩で
おもいっきり表現していたんだ

きっと
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by italofran55 | 2009-06-13 19:13 | 歴史