素人歴史探偵 出雲編 その3
2013年 05月 04日
恵比寿さまが大国主命であると思っていたのは間違えで
大黒さまがそれを表し 大国主命の子供の事代主命(ことしろぬしのみこと)が恵比寿さまにあたるらしい
事代主命は現代風にいうと 事情を知る男 すべてを知る男 かなり意味深な名前である
しかしその昔の意味では神の予言を預かる神官という意味らしい、
大王側から派遣された神官という説もある
その男が国譲りにおいて父に決定的な進言をしている
大和朝廷において最大の国家統一の功労者がその後どうなったのだろうか
まつられている美保神社の対岸にあり今はうち捨てられている倉吉にある波波伎神社の山々に隠れ住み
なくなったそうであるという
国譲りの最大の功労者にしてはあまりに寂しい死に方である
彼の兄弟の大国主命の子供タケミナカタの命は高天原政権から派遣されたタケミカズチの命と争って負けて
日本海側船で転々とし新潟側から信濃の諏訪地方に入り諏訪神社を開いている
100人単位の部隊でしかなかったのではあるまいか そのころの人口密度 道の状態 国の間の連絡状態
食べ物の生産量 保存法からいって その程度の部隊で地方の征圧が可能だったろう
国譲りははじめは争乱で始まり大国主命側の敗走で終わっているのだろう
その条件として出雲大社という当時としてはスーパーに大きな神社が造られた
しかし大国主命はそこに住まない
それをつくってくれるなら霊界に身を引くというのである
これは何を意味しているのだろう
単純に考えれば大国主命は戦乱によって霊界に行ってしまった-殺された
そして普通はその子供である事代主の命が出雲大社の神官長になるべきところを
引退させられてしまって 戦争の功労者が神官家を占めることとなる
出雲大社の神官家は千家ー北島家さんという80代続く家系がある
1世代20年とすると1600年は続いているーそのころ漢字が伝わっていたのだろうか?
ちょうど西暦400年 卑弥呼と大和朝廷成立の歴史空白の時代である
この神官家の祖先は天照大御神の子供でアメノホヒといい出雲説得に使わされて逆に大国主命に説得されて部下になってしまった人であり、その子孫であるという
出雲の有力者となり高天原ー出雲戦争にて決定的な裏切りをしたのではないだろうか
古事記の初期の項目においては出雲の国譲りがかなりの部分を占めているらしい
それだけ大王の国に歴史にとっては重要であった事柄だ
しかし大国主命の子孫はその後にはおそらくでてこない
出雲の部族連合国家において頂点の家は抹殺されてしまったのだろう
by italofran55
| 2013-05-04 19:51
| 歴史