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診察室の窓から


by italofran55
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記憶は書き換えられているか?

夏は、佐久平駅で降りてレンタカーを借りて
八千穂高原や 八ヶ岳高原に向かう

何年か前から、佐久平にある中込学校や五稜郭に似た城跡ー龍岡城があるとのことで
車で巡ったことがあった

中込学校はすぐわかり
そのあと、城跡に向かった

野沢という宿場の近くを走っていると
城跡らしい 明らかに掘りに囲まれた古跡があった
ここが龍岡城の跡かと回っていると
となりに鄙にはめずらしい、門前の出店のある
立派なお寺があった

しかしそこは龍岡城ではなかったので
すぐに八ヶ岳に向かったのである

それからほとんど毎年佐久平を通り
龍岡城も訪れた

ところがはじめに見た城跡と賑やかなお寺がどこかわからなくなったのである
毎年 佐久平を走ったがついぞ見つからない

そのうちにあれは私の思い込みで
幻想だったのだろうと言うことになった

佐久平のほとんどの神社仏閣をみてまわったので
佐久の歴史には詳しくなってしまい
望月という不思議な街をすきになってしまった
佐久平は奈良時代やその前から 牧という
軍事用の馬を産出していたところで
今で言えば巨大な軍需産業があったようなものらしい

ところで忘れていた城跡やとなりのお寺に
偶然であったのである

それはやはり野沢という街の城跡とぴんころ地蔵という
その辺では有名な場所であった

ところがその城跡が私の記憶と微妙にずれているのである
これなのか、べつにあるのか?

ここで記憶が絶対的に残存しているものなのかーデジタルの記憶のように
または 人の記憶は主観的 主体的に書き換えられているものなのかという
神経心理的な主題にぶち当たる

現在では記憶は書き換えられているー少なくとも呼び出したときに
感情的色彩を帯びると言う見方が主流となっているという

私が見た城跡は、先ほど述べたぴんころ地蔵のとなり城跡なのだろうか
それとも千曲川べりにあった古い神社を城跡と勘違いしたのだろうかと
考え込んだのだ

疲れていたので書き換え可能な程度の記憶になってしまったのだろうか

記憶が書き換えられているとすれば
われわれの同一性はどの様に
担保されるのか?考えてみた

おそらく書き換えの方法、手順が平均的であり安定していることが
同一性の基準となる

書き換えの方法が狂ってくることにより
認知障害ー呆け
ある種のパーソナリティ障害
もっと敷衍すれば
精神疾患 妄想 気分障害などがでてくるのかもしれないと
とめどなく考えている

記憶と同一性については、しばらく追求してみよう

記憶は書き換えられているか?_c0156217_021170.jpg

by italofran55 | 2010-06-16 23:37 | 医学