診察室の窓から


by italofran55
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こころはどこにあるのかなⅡ

こころはどこにあるかと

わたしたちが考えるとき
それは、反省意識である

意識はふだん意識に対し無自覚であるが
意識を意識することがある

ああだから、心があるんだというときー他人に対しても、自己に対しても
それは自己意識の検証から始まっている

そのときわたしたちは、どちらかといえばpositiveな感情を伴ったある意識状態を思い出す

ともだちをぶん殴ったとか、親に反抗したとか、神にもとる行為をしたとかいうときに
こころがあったとは思わない

家族愛、兄弟愛、友情、親愛の情、宗教感情などのときに
こころがあるとおもうだろう

こうした感情は普遍的なものであるが
その体験は、きわめて個人的、一回的なものである
私たちの身体性、感覚性を経て得られるものであるしかない
想像するにも、原体験がいるのではないだろうか

意識が、原体験を経て得られた感情を反芻するということは
脳科学的にいえば
扁桃ー海馬系を通じて
感情ー長期記憶complexが形成されていなければならない

positiveな感情とは具体的には何を表すのであろうか
陽性感情は、相手に対する肯定の感情である

対象に対する攻撃性が制御され

対象と観察自己とが安定した関係をもつことができる

おそらくそれが、家族や、集団や、社会に通じ形成していく
原則となっている

記憶の元となるー体験時の感情がとても大事となる

怖い感情を伴って記憶されたものは
記憶をよみがえさせるときに
恐怖感を伴うかもしれない

感情ー記憶の装置が正常でないと、

反省意識は成り立たない


生物はどこからして記憶装置を獲得したのであろうか

どこからして感情ー感情装置を獲得したのであろうか
感情は哺乳類にはわれわれは観察することができるが

残念なことに反省する意識は
原始的な生物からしてから発生しているのではないか

脳はきわめて唯物的であるー生物的基礎をもっている
脳の重篤な損傷は心を失わせてしまう

そうした意味でこころは
脳に宿っているのである

しかし、霊性といわれるこころは
脳を借りているのに過ぎないともいえるだろう

きわめて唯物的な基盤の上にありながら

唯心的な方向をもってしまいそうな幻想を持たせるところに
脳ー意識の逆説性がある
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by italofran55 | 2009-03-06 23:39 | 医学